2008年 10月 01日
スハニ62とオハフ60 |
石北本線や釧網本線でよく走っていたスハニ62とオハフ60です。
スハニ62は冬季間深名線でダルマストーブ付で走っていました。
混合列車によく似合っていましたね。
背もたれにアンコが入っていない、木の垂直椅子で長時間の乗車でしたが、何故かあまり疲れを感じさせませんでしたね。
オハフ60は窓と座席がマッチしていなくてバスのような感じでしたね。また、車掌台ところの扉が引き戸ではなくドアだったのが珍しかったのを覚えています。
混合列車では機関車の次位に付かず、後ろや貨車の間に入っていたりするので、温風暖房が装備されていましたね。
↑ スハニ62 4
↑ スハニ62 4車内 ↑ オハフ60 29 ↑石北本線の客車 D51 1153の次位にスハニ62 4が連結されている 遠軽駅 1974年3月30日
↑ 29622+スハニ62 深名線 北母子里駅 1974年2月11日 混9990レ ↑ スハニ62車内のダルマストーブ ↑ 釧網本線の混合列車 札弦 1984年1月29日
vanagon714さん、tunnnel no-2さんにコラボしました。
スハニ62は冬季間深名線でダルマストーブ付で走っていました。
混合列車によく似合っていましたね。
背もたれにアンコが入っていない、木の垂直椅子で長時間の乗車でしたが、何故かあまり疲れを感じさせませんでしたね。
オハフ60は窓と座席がマッチしていなくてバスのような感じでしたね。また、車掌台ところの扉が引き戸ではなくドアだったのが珍しかったのを覚えています。
混合列車では機関車の次位に付かず、後ろや貨車の間に入っていたりするので、温風暖房が装備されていましたね。
vanagon714さん、tunnnel no-2さんにコラボしました。
by Ncity-T
| 2008-10-01 10:30
| 鉄道
|
Comments(17)
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すーさん
at 2008-10-01 15:15
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こんにちは。木目の壁に白の天井がなつかしいですね。それにしても北海道に行ったことのない私としては、昭和50年頃までD51牽引の定期旅客列車がふつうに走っている姿がなんとも驚きです。もっと驚きは、96とスハニ62だけの列車(列車といえるのか?)が存在しているとは・・・・。この列車番号の「混」はスハニだからですか?9000番代ということは、毎日運転じゃありませんね?休校日運休とかですか?vanagonさんの場合もそうですが、違うところに住んでいる人のお話聞くと新たな驚きがあって楽しいです。ありがとうございます。
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すーさん
at 2008-10-01 15:33
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追伸です。釧網線ってSL時代は、96でしたっけC11でしたっけ?そのあとがまはDE10なのですね。1600ということは、こちらとは仕様が少し違うのでしょうが。でもDE10重連とはこちらではあまり見ないなー、と・・・。パワー的にDD51単機で済みそうですが軸重の問題でしょうか?・・・
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vanagon714 at 2008-10-01 19:51
貴重な写真でコラボありがとうございます(^^)
スハニ62室内、いいですね。 妻板の北海道地図が最高ですね~
白熱灯の照明も泣けますね。
オハフ60はホント面白い車ですね。
ボックスシートの背もたれが窓の真ん中に来るのは見てみたかったです。
キューロク+スハニの編成も模型的でいいですね~
すばらしい写真ありがとうございました。
スハニ62室内、いいですね。 妻板の北海道地図が最高ですね~
白熱灯の照明も泣けますね。
オハフ60はホント面白い車ですね。
ボックスシートの背もたれが窓の真ん中に来るのは見てみたかったです。
キューロク+スハニの編成も模型的でいいですね~
すばらしい写真ありがとうございました。
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Ncity-T at 2008-10-01 19:57
すーさん、
昭和50年頃には、SLの定期旅客列車はD51の他C57やC58もありました。
深名線の9600の混合列車は冬季間限定で12月1日~3月20日の運行でした。当日は祝日だったので貨物は付かなかったのでしょう。
9600の客車を牽くのは大変珍しかったので狙って行きました。
余談ですが、機関士さんが「キャブに乗っていきなさい」と呼びに来てくれたので、ご好意に甘えて、北母子里から朱鞠内まで29622の助士席に座らせてもらい、貴重な体験をさせていただきました。
深名線は雪深いので、9600で雪掻きをしていたのでしょう。キハ22ではパワー不足で停まってしまう事がありましたからね。
釧網線はSL時代はC58でした。無煙化でDE10に替わりました。DD51が入れなかったのは軸重の関係でしょうね。
緑~弟子屈のあたりに勾配があるので昔から補機が付きました。
北海道のDE10はA寒地仕様になっています。番号は通しだと思います。
昭和50年頃には、SLの定期旅客列車はD51の他C57やC58もありました。
深名線の9600の混合列車は冬季間限定で12月1日~3月20日の運行でした。当日は祝日だったので貨物は付かなかったのでしょう。
9600の客車を牽くのは大変珍しかったので狙って行きました。
余談ですが、機関士さんが「キャブに乗っていきなさい」と呼びに来てくれたので、ご好意に甘えて、北母子里から朱鞠内まで29622の助士席に座らせてもらい、貴重な体験をさせていただきました。
深名線は雪深いので、9600で雪掻きをしていたのでしょう。キハ22ではパワー不足で停まってしまう事がありましたからね。
釧網線はSL時代はC58でした。無煙化でDE10に替わりました。DD51が入れなかったのは軸重の関係でしょうね。
緑~弟子屈のあたりに勾配があるので昔から補機が付きました。
北海道のDE10はA寒地仕様になっています。番号は通しだと思います。
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Ncity-T at 2008-10-01 20:11
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すーさん
at 2008-10-02 08:29
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おはようございます。SLのキャブに乗れたのは奇跡ですねー。また、雪掻きのために96が入線し、キハ22だと停まっちゃうなんて私としては考えられない話しです。面白い写真をありがとうございました。
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Ncity-T at 2008-10-02 10:00
すーさん、
おはようございます。
当時は国鉄関係の方々にはお世話になりっぱなしでした。
機関士さんや駅の職員さんによく声を掛けていただき、お茶や食事をご馳走になったり、廃品をお土産に戴いたりしました。
今の時代では考えられませんね。
北海道の冬季間はキハ22単行だと停まってしまったり、エンジンが死んだら終わりなので、2両に増結して運行していました。
75年3月末に名寄線の宇津で実際に体験しました。構内の手前あたりでで停まってしまって地元の消防隊に掘り出してもらってホームまで付けて、DEのラッセル車が来るまで半日待たされた事があります。
札沼線のあいの里付近でも吹き溜まりで玉砕していましたね。
石狩太美でも前に進まないので、一旦バックしてから惰性をつけて乗り切っていました。
おはようございます。
当時は国鉄関係の方々にはお世話になりっぱなしでした。
機関士さんや駅の職員さんによく声を掛けていただき、お茶や食事をご馳走になったり、廃品をお土産に戴いたりしました。
今の時代では考えられませんね。
北海道の冬季間はキハ22単行だと停まってしまったり、エンジンが死んだら終わりなので、2両に増結して運行していました。
75年3月末に名寄線の宇津で実際に体験しました。構内の手前あたりでで停まってしまって地元の消防隊に掘り出してもらってホームまで付けて、DEのラッセル車が来るまで半日待たされた事があります。
札沼線のあいの里付近でも吹き溜まりで玉砕していましたね。
石狩太美でも前に進まないので、一旦バックしてから惰性をつけて乗り切っていました。
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すーさん
at 2008-10-02 13:10
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以前は、ほのぼのしていたのですね。でも雪や寒さとの戦いは私の想像をはるかに超えたものなのでしょうね。キハ22があれば全くOKだと思っていたのですが、違うのですね。やはり勾配がある線区もあることですし、キハ52の北海道版がいくらかでも配置されていれば少しは助かったのでしょうか?(あまいかな?)スピード以外の面でもディーゼルカーの高出力は必要だったのですね。耐寒性能においてはDLやDCよりもSLの方が上でしょうか?それにしてもキハ22でもこれだけたいへんなのでしたら、それ以前の夕張鉄道や北海道あちこちにあった簡易軌道などはもっとたいへんだったのでしょうねー・・・。
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tunnnel no-2
at 2008-10-02 14:47
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コラボ、ありがとうございます。
スッゴ~~~イ、貴重な映像ですね~~~。
見ていて当時の匂いが、よみがえって来ます。
深名線の混合列車、私も74年の3月に行ったのですが、残念ながら大雪で運休でした。
この頃、北海道での9600旅客列車は大夕張だけになってしまいましたね。
スッゴ~~~イ、貴重な映像ですね~~~。
見ていて当時の匂いが、よみがえって来ます。
深名線の混合列車、私も74年の3月に行ったのですが、残念ながら大雪で運休でした。
この頃、北海道での9600旅客列車は大夕張だけになってしまいましたね。
いやいや、これは貴重な映像ですね。特に、オハフ60の方は、私も現物を見たことがないので、感度モノです。座席と窓が合っていないという事も、実は初めて知りました。
「オハニ」との響きも懐かしく思えます。荷物列車が消滅したのも59-2改正でしたっけ?
北海道は、特殊な客車が多かったですから、本当に長いこと行きたい所でした。初渡道が昭和57年3月ですので、辛うじてスハ32とかを見ることが出来て嬉しかったのを覚えています。ああもあっけなく国鉄が解体されることが判っていたら、もっと初渡道の時に色々と写真を撮っておくべきだったと後悔が残ります。
「オハニ」との響きも懐かしく思えます。荷物列車が消滅したのも59-2改正でしたっけ?
北海道は、特殊な客車が多かったですから、本当に長いこと行きたい所でした。初渡道が昭和57年3月ですので、辛うじてスハ32とかを見ることが出来て嬉しかったのを覚えています。ああもあっけなく国鉄が解体されることが判っていたら、もっと初渡道の時に色々と写真を撮っておくべきだったと後悔が残ります。
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Ncity-T at 2008-10-04 12:39
すーさん、
>キハ52の北海道版がいくらかでも配置されていれば
そうですね。2エンジン車があれば随分楽になったと思います。
国鉄末期にキハ54が導入され、パワーの差を感じさせられました。
現在はキハ201のような高出力気動車が出来たので更に楽になりましたね。
耐寒性能ですが、よく分かりませんがSLの方がいいのでしょうか。SLは夏も冬も関係ないような??
>キハ52の北海道版がいくらかでも配置されていれば
そうですね。2エンジン車があれば随分楽になったと思います。
国鉄末期にキハ54が導入され、パワーの差を感じさせられました。
現在はキハ201のような高出力気動車が出来たので更に楽になりましたね。
耐寒性能ですが、よく分かりませんがSLの方がいいのでしょうか。SLは夏も冬も関係ないような??
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Ncity-T at 2008-10-04 12:46
tunnnel no-2 さん、
画像や音声を聞いていると当時の事がよく思い出されますね。懐かしいですね。
当時9600の客車は珍しく見た事がなかったので、この目に焼き付けて撮影もしておこうという事で出撃しました。
同業者もいなかったので、撮影している人は少ないと思います。
画像や音声を聞いていると当時の事がよく思い出されますね。懐かしいですね。
当時9600の客車は珍しく見た事がなかったので、この目に焼き付けて撮影もしておこうという事で出撃しました。
同業者もいなかったので、撮影している人は少ないと思います。
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Ncity-T at 2008-10-04 12:59
おさかなさん、
59-2のダイヤ改正は「分割民営化」の準備みたいなものでしたね。
荷物列車の廃止は61-11のダイヤ改正だと思います。
57年3月だと51系客車がたくさん入ってしまって、旧客はだいぶ数を減らしていましたね。
59-2のダイヤ改正は「分割民営化」の準備みたいなものでしたね。
荷物列車の廃止は61-11のダイヤ改正だと思います。
57年3月だと51系客車がたくさん入ってしまって、旧客はだいぶ数を減らしていましたね。
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yrr03464 at 2008-10-05 08:09
懐かしい写真ありがとうございます。
オハフ60もよく撮られていましたね…貴重です。
9600牽引の客車は札幌近郊では見られないので珍しいです。
59.2改正で貨物体系も大幅に整理されたので,雑系貨車はこれを境に極端に見られなくなりましたね。ミキストも乗ってみたかったです。
オハフ60もよく撮られていましたね…貴重です。
9600牽引の客車は札幌近郊では見られないので珍しいです。
59.2改正で貨物体系も大幅に整理されたので,雑系貨車はこれを境に極端に見られなくなりましたね。ミキストも乗ってみたかったです。
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Ncity-T at 2008-10-05 21:18
yrr03464さん、
オハフ60も何の気なしに撮影したものですが、今となっては貴重な画像ですね。
D52牽引の定期客車もあったのに、9600牽引の客車は定期ではありませんでしたからね。珍しかったですよ。
札幌からは朝出ても間に合わないので、夜行の大雪に乗って、遠軽から名寄線廻りで乗りに行きました。
オハフ60も何の気なしに撮影したものですが、今となっては貴重な画像ですね。
D52牽引の定期客車もあったのに、9600牽引の客車は定期ではありませんでしたからね。珍しかったですよ。
札幌からは朝出ても間に合わないので、夜行の大雪に乗って、遠軽から名寄線廻りで乗りに行きました。
あの、ダルマストーブの燃料は、横に置いてある石炭ですよね?本州では、こういったものを見かけたことがなく、唯一、シベリア鉄道の記録番組で、シベリア鉄道の列車の暖房も、ストーブ(燃料は薪)だと紹介されていたのを覚えています。 電気暖房など、電気を頼りにしたものだと、停電になった場合、極寒の地では、乗客の生命にかかわることなので、停電になっても暖房できる、薪ストーブが採用されているそうです。
おそらく、「荷物車」ならぬ、「薪車」なんかがあって、薪をいっぱい積んでいるのでしょうか。
おそらく、「荷物車」ならぬ、「薪車」なんかがあって、薪をいっぱい積んでいるのでしょうか。
耐寒性能は、SL>DL>EL でしょうかね? 電気は停電になったり、極寒地では、架線が凍り付いて、その氷を掻き落とすパンタグラフが必要になったりすることもあるので、ちょっと不便かもしれません。その点、SLやDLは燃料を自分で持ちながら走る訳で、停電とは無関係ですからね。
世界の酷寒地を見ても、ELなのは水力発電で豊富な電力が得られるスカンジナビア半島とロシア西部くらいで、ロシアも東にいって寒さがより厳しい地方では、非電化でELのようですね。 列車本数も少ないからかもしれません。
世界の酷寒地を見ても、ELなのは水力発電で豊富な電力が得られるスカンジナビア半島とロシア西部くらいで、ロシアも東にいって寒さがより厳しい地方では、非電化でELのようですね。 列車本数も少ないからかもしれません。