2011年 09月 18日
仁山信号場 今昔 |
おさかなさんの記事でスイッチバックの話題が上がったので、仁山信号場の画像があったのでUPしてみました
1966年10月に藤城線が開通する前は急行『ていね』や貨物列車も「仁山越え」をしていて、渡島大野から軍川(現大沼)までD52の補機で尻押しをしていたそうです
下り列車は停車後、一旦加速線に後退してから発車して行きます
尚、気動車列車はそのままホームから発車して行きますが、非力なエンジンではかなり発車に手間取っていました
今はキハ40が運行していますが、エンジンが噴いてもなかなか動き出しません
加速線は現在でも生きていますが、設定列車がなく草ボウボウ状態になっています
安全側線の代わりでしょうか
また、藤城線が不通になった時のために生かしてあるのでしょうか
『SL大沼号』が折角仁山経由になったので、仁山に停車して加速線に入って発車してくれると迫力があっていいのですけどね~
駅舎は昔ながらのままで、表示は昔「仁山信号場」でしたが、現在は「仁山駅」となっています
1973年6月号「道内時刻表」
仁山を含めた信号場は「旅客乗降場」扱いであり、「駅」扱いではないのでキロ程は表示されていません
2008年2月号「道内時刻表」
1987年国鉄分割民営化でJR北海道に継承時に「駅扱い」となりキロ程が表示されるようになりました
信号所時代(CTC化以前)は駅員が配置され、切符の発売もしていました
キロ程がないため、運賃の計算が上りは大沼、下りは渡島大野からの計算になり、仁山から普通の片道券は「大沼 渡島大野間ゆき」と自駅が真ん中にある変な表示になっていましたが、矢印式になって解消されました
発行駅名は「信仁山駅」と表記されています
他に、本石倉や北豊津信号場でも乗車券の発売がありました
車掌が発売していた車内片道乗車券や車内補充券も「(信)仁山」という表記をしていました
現在の加速線から本線に向かって
草ボウボウ状態ですが加速線は生きています
上りホームから渡島大野方に向かって
上り線はPCマクラギで下り線は木のマクラギで草ボウボウで落差が激しいです
上り列車 キハ40単行
下り列車 キハ40×2連
加速線に後退中のDD51744(五)と80系『北斗』
有珠山の爆発直後で『北斗』の車体は灰で白くなっています
加速線から一気に駆け上がってくるDD51744(五)牽引の125レ
動画
キハ40 831+キハ40 1809 下り5883D
上り貨物列車と交換
エンジンが吹き上がってもなかなか動きません
1977年8月7日
2009年7月8日
七飯町
1966年10月に藤城線が開通する前は急行『ていね』や貨物列車も「仁山越え」をしていて、渡島大野から軍川(現大沼)までD52の補機で尻押しをしていたそうです
下り列車は停車後、一旦加速線に後退してから発車して行きます
尚、気動車列車はそのままホームから発車して行きますが、非力なエンジンではかなり発車に手間取っていました
今はキハ40が運行していますが、エンジンが噴いてもなかなか動き出しません
加速線は現在でも生きていますが、設定列車がなく草ボウボウ状態になっています
安全側線の代わりでしょうか
また、藤城線が不通になった時のために生かしてあるのでしょうか
『SL大沼号』が折角仁山経由になったので、仁山に停車して加速線に入って発車してくれると迫力があっていいのですけどね~
駅舎は昔ながらのままで、表示は昔「仁山信号場」でしたが、現在は「仁山駅」となっています
1973年6月号「道内時刻表」
仁山を含めた信号場は「旅客乗降場」扱いであり、「駅」扱いではないのでキロ程は表示されていません
2008年2月号「道内時刻表」
1987年国鉄分割民営化でJR北海道に継承時に「駅扱い」となりキロ程が表示されるようになりました
信号所時代(CTC化以前)は駅員が配置され、切符の発売もしていました
キロ程がないため、運賃の計算が上りは大沼、下りは渡島大野からの計算になり、仁山から普通の片道券は「大沼 渡島大野間ゆき」と自駅が真ん中にある変な表示になっていましたが、矢印式になって解消されました
発行駅名は「信仁山駅」と表記されています
他に、本石倉や北豊津信号場でも乗車券の発売がありました
車掌が発売していた車内片道乗車券や車内補充券も「(信)仁山」という表記をしていました
現在の加速線から本線に向かって
草ボウボウ状態ですが加速線は生きています
上りホームから渡島大野方に向かって
上り線はPCマクラギで下り線は木のマクラギで草ボウボウで落差が激しいです
上り列車 キハ40単行
下り列車 キハ40×2連
加速線に後退中のDD51744(五)と80系『北斗』
有珠山の爆発直後で『北斗』の車体は灰で白くなっています
加速線から一気に駆け上がってくるDD51744(五)牽引の125レ
動画
キハ40 831+キハ40 1809 下り5883D
上り貨物列車と交換
エンジンが吹き上がってもなかなか動きません
1977年8月7日
2009年7月8日
七飯町
by Ncity-T
| 2011-09-18 14:53
| 鉄道
|
Comments(14)
貴重なお写真を有難うございます。
仁山は駅舎はボロいのに、今の本線上に駅舎が位置しているので「?」と思っていたのですが、あれは加速線だったのですね。やっと納得がいきました。
125レのお写真を拝見すると、レベルの加速線より本線がかなり上り勾配になっているのが判りますね。あれでは昔の気動車が難儀したのも理解できます。ってか、今時のキハ40でも「あの程度」なんですね。
以前は信号所扱いのところが多かったですけれど、民営化でみんな「駅」に昇格しましたね。私も昭和44年の時刻表を読んでいて「変わったんだなぁ」と思ったものです。
仁山は駅舎はボロいのに、今の本線上に駅舎が位置しているので「?」と思っていたのですが、あれは加速線だったのですね。やっと納得がいきました。
125レのお写真を拝見すると、レベルの加速線より本線がかなり上り勾配になっているのが判りますね。あれでは昔の気動車が難儀したのも理解できます。ってか、今時のキハ40でも「あの程度」なんですね。
以前は信号所扱いのところが多かったですけれど、民営化でみんな「駅」に昇格しましたね。私も昭和44年の時刻表を読んでいて「変わったんだなぁ」と思ったものです。
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vanagon714 at 2011-09-19 10:46
仁山スイッチバックいいですね~
旧客を引くDD51、エンジン全開の唸り音が聞こえてきそうです。
車体が白くなったキハ82の写真も大変貴重ですね。
20パーミルの勾配は非力なキハ82にとっても難所だったのでしょうね。
エンジンが吹き上がってから動き出すのはキハ40の特徴でしょうか?
旧客を引くDD51、エンジン全開の唸り音が聞こえてきそうです。
車体が白くなったキハ82の写真も大変貴重ですね。
20パーミルの勾配は非力なキハ82にとっても難所だったのでしょうね。
エンジンが吹き上がってから動き出すのはキハ40の特徴でしょうか?
1973年の時刻表の「すずらん6号」うれしいです!!
灰だらけの「北斗」とDD51の引く125レ…ワクワクするシーンですね
灰だらけの「北斗」とDD51の引く125レ…ワクワクするシーンですね
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kattsu-mqc at 2011-09-19 13:25
こんにちは
貴重な記録をありがとうございます。7月の函館出張の際に草生した仁山の加速線を車内からなんとか目視することが出来ました。
実家で発掘した本に道内の線路縦断面図が掲載されていました。仁山は20‰区間の真ん中あたりなので重量列車は加速線に入らないと発進不能でしょうね。
身近に客扱いをしていた信号所が無かったので硬券を発行していたということも驚きました。
貴重な記録をありがとうございます。7月の函館出張の際に草生した仁山の加速線を車内からなんとか目視することが出来ました。
実家で発掘した本に道内の線路縦断面図が掲載されていました。仁山は20‰区間の真ん中あたりなので重量列車は加速線に入らないと発進不能でしょうね。
身近に客扱いをしていた信号所が無かったので硬券を発行していたということも驚きました。
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tunnel no-2
at 2011-09-19 13:25
x
とても気になっている駅なのですが、未だに降りたことがありません。
駅舎もこじんまりとして良いですね~。
いつも上り列車で通っているので、勾配のきつさがイマイチ実感できていません。キハ40重そうです!
73年の時刻表、懐かしいです。この書体は弘済会のものですね。
これに載っている、北豊津、姫川、渡島沼尻、みんな信号所ばっかりですが、そこも気になっている駅です、訪ねてみたいですね~。
駅舎もこじんまりとして良いですね~。
いつも上り列車で通っているので、勾配のきつさがイマイチ実感できていません。キハ40重そうです!
73年の時刻表、懐かしいです。この書体は弘済会のものですね。
これに載っている、北豊津、姫川、渡島沼尻、みんな信号所ばっかりですが、そこも気になっている駅です、訪ねてみたいですね~。
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Ncity-T at 2011-09-20 20:32
おさかなさん、
こんばんは。
ボロい駅舎は昔のままですが、無人になって余計にボロボロになりましたね~。
本線の勾配は結構キツイです。
昔のキハ21のDMH17Bでは、なかなか動かないどころか加速も悪く勾配が終るまで20キロくらいしか出なかったです。
国鉄時代は信号場や乗降場扱いだったところは、JRになってから駅に昇格しましたね。
キロ程が表示され、運賃を高く払わなくて良くなったというのが有難いですね。
こんばんは。
ボロい駅舎は昔のままですが、無人になって余計にボロボロになりましたね~。
本線の勾配は結構キツイです。
昔のキハ21のDMH17Bでは、なかなか動かないどころか加速も悪く勾配が終るまで20キロくらいしか出なかったです。
国鉄時代は信号場や乗降場扱いだったところは、JRになってから駅に昇格しましたね。
キロ程が表示され、運賃を高く払わなくて良くなったというのが有難いですね。
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Ncity-T at 2011-09-20 20:39
vanagon714さん、
DDのスイッチバックはなかなか迫力がありましたよ。
函館に滞在中に有珠山の噴火に遭い、札幌から来る列車は灰を被って白くなっていました。
80系はDMH17Hなので藤城越えでもけっこうスピードが落ちていたので、仁山越えはさぞ苦しかったと思います。
キハ40は58系と違って、エンジンを回さないと性能が出ないような事が某鉄道雑誌で読んだ事があります。
DDのスイッチバックはなかなか迫力がありましたよ。
函館に滞在中に有珠山の噴火に遭い、札幌から来る列車は灰を被って白くなっていました。
80系はDMH17Hなので藤城越えでもけっこうスピードが落ちていたので、仁山越えはさぞ苦しかったと思います。
キハ40は58系と違って、エンジンを回さないと性能が出ないような事が某鉄道雑誌で読んだ事があります。
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Ncity-T at 2011-09-20 20:50
suzuran6さん、
1973年6月だとまだ「すずらん6号」は旧線経由でしたね。
グリーン車・寝台車を含んだ長大編成は急行の風格がありましたね。
朝早起きすると6時頃にM生公園前を通過して行きましたね。
懐かしいですね~。
1977年の夏休み、愛車のCB50JXで函館の親戚宅に厄介になり、当日は桂川信号場までのきっぷ収集に行って、帰りに仁山に寄ったところ、ちょうど125レは来る時間だったので撮影しました。
当時は蒸気機関車がなくなって撮影意欲が低下し、カメラ持参でもほとんど撮影していなかったのですが、この時はわざわざ踏切のところまで行って撮影しました。
1973年6月だとまだ「すずらん6号」は旧線経由でしたね。
グリーン車・寝台車を含んだ長大編成は急行の風格がありましたね。
朝早起きすると6時頃にM生公園前を通過して行きましたね。
懐かしいですね~。
1977年の夏休み、愛車のCB50JXで函館の親戚宅に厄介になり、当日は桂川信号場までのきっぷ収集に行って、帰りに仁山に寄ったところ、ちょうど125レは来る時間だったので撮影しました。
当時は蒸気機関車がなくなって撮影意欲が低下し、カメラ持参でもほとんど撮影していなかったのですが、この時はわざわざ踏切のところまで行って撮影しました。
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Ncity-T at 2011-09-20 21:03
kattsu-mqcさん、
こんばんは。
出張の時にしっかり見ていたのですね。
さすがですね~。
仁山線は藤城線が開通する前は長大貨物列車も走っていたので、加速線はかなり長いです。
DDの撮影時に見にいきましたが、1キロ程度はあったと思います。
当時の青函局の信号場で他に硬券を発売していたのは、桂川と北豊津です。
他局は有人の信号場では硬券の発売はしていませんでしたね。
運転取扱要員がいた無人駅も硬券の発売はしていなかったので、例外中の例外でしょうか。
こんばんは。
出張の時にしっかり見ていたのですね。
さすがですね~。
仁山線は藤城線が開通する前は長大貨物列車も走っていたので、加速線はかなり長いです。
DDの撮影時に見にいきましたが、1キロ程度はあったと思います。
当時の青函局の信号場で他に硬券を発売していたのは、桂川と北豊津です。
他局は有人の信号場では硬券の発売はしていませんでしたね。
運転取扱要員がいた無人駅も硬券の発売はしていなかったので、例外中の例外でしょうか。
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Ncity-T at 2011-09-20 21:11
tunnnel no-2さん、
まだ降りた事がないのですね。
今は下りはキハ40しか来ないので味気ないですが、「SL大沼号」の運行時にでも行ってみたら如何でしょうか。
後ろから押しているDEの音で勾配のキツさが分かると思いますよ。
当時、姫川と渡島沼尻は無人でしたが、北豊津、鷲ノ巣、桂川は有人でした。
信号場巡りもいいですね。
まだ降りた事がないのですね。
今は下りはキハ40しか来ないので味気ないですが、「SL大沼号」の運行時にでも行ってみたら如何でしょうか。
後ろから押しているDEの音で勾配のキツさが分かると思いますよ。
当時、姫川と渡島沼尻は無人でしたが、北豊津、鷲ノ巣、桂川は有人でした。
信号場巡りもいいですね。
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hamusutar
at 2011-09-20 21:24
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こんばんは。加速線に入る列車の写真は珍しいですよね。加速線の末端に向け上り勾配になっていますので、列車は一旦下って加速をつけ旧熊ノ湯信号所方面にダッシュしていたのですね。熊ノ湯信号所跡も、遺構の確認が難しくなってきました。
常紋が通過扱いになった後、道内で唯一使用可能な場所です。
是非整備の上、SL大沼号で使用して欲しいです。
きっぷ私も仁山と北豊津は持っています。桂川はなかなかお目にかかれません。未確認ですが、仁山では近隣にスキー場もあり、利用客が多かったことから入場券を売っていたと、何かの鉄道雑誌で読んだことがあります(ガセだと思いますが)。
常紋が通過扱いになった後、道内で唯一使用可能な場所です。
是非整備の上、SL大沼号で使用して欲しいです。
きっぷ私も仁山と北豊津は持っています。桂川はなかなかお目にかかれません。未確認ですが、仁山では近隣にスキー場もあり、利用客が多かったことから入場券を売っていたと、何かの鉄道雑誌で読んだことがあります(ガセだと思いますが)。
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Ncity-T at 2011-09-20 22:18
hamusutarさん、
こんばんは。
加速線から出て来る写真はこの1枚だけです。
もっと撮影しておけば良かったです(泣)
熊の湯信号場も痕跡の確認が難しいですね。
「SL大沼号」は是非仁山で停車して、加速線に入り発車して欲しいところですね。
お客も喜ぶと思います。
きっぷですが、仁山の入場券の口座は私の訪問時にはありませんでした。
この年には発売していなかったのかも知れませんが、他の年に発売していた可能性はあるかも知れませんね。
桂川のきっぷも仁山の写真撮影当日に購入しました。
他に本石倉のきっぷも出てきました。
本石倉はホーム上に事務室があって乗車券箱が見えたので停車中に購入しました。
こんばんは。
加速線から出て来る写真はこの1枚だけです。
もっと撮影しておけば良かったです(泣)
熊の湯信号場も痕跡の確認が難しいですね。
「SL大沼号」は是非仁山で停車して、加速線に入り発車して欲しいところですね。
お客も喜ぶと思います。
きっぷですが、仁山の入場券の口座は私の訪問時にはありませんでした。
この年には発売していなかったのかも知れませんが、他の年に発売していた可能性はあるかも知れませんね。
桂川のきっぷも仁山の写真撮影当日に購入しました。
他に本石倉のきっぷも出てきました。
本石倉はホーム上に事務室があって乗車券箱が見えたので停車中に購入しました。
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kattsu-mqc at 2011-09-28 20:59
こんばんは 再コメ失礼いたします。
7月に出張した際に仁山の加速線を北斗8号の車内から動画で撮影してありました。
実は撮っていたことをすっかり忘れていて別の画像チェックをしていて発見しましたのでコラボさせていただきました。
7月に出張した際に仁山の加速線を北斗8号の車内から動画で撮影してありました。
実は撮っていたことをすっかり忘れていて別の画像チェックをしていて発見しましたのでコラボさせていただきました。
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Ncity-T at 2011-09-28 22:45